1. 音楽の夢と最初のキャリア

柳生好之先生は、大学卒業後に音楽制作事務所に就職し、作曲家を目指しました。当時、携帯電話の着信メロディを作るために音楽を打ち込む作業が流行しており、彼もその分野で仕事を始めました。しかし、作曲の仕事は新人にはあまり回ってこず、自分の実力不足を痛感する日々が続きました。

2. 音楽の勉強と塾講師への転身

音楽制作事務所を退職した柳生先生は、音楽の専門学校でジャズ理論などを学び直すことを決意しました。しかし、生活費を稼ぐ必要があったため、夜間に働ける高時給の仕事を探し、塾講師の道を選びました。最初に勤めた塾では、現代文の講師として応募しましたが、古文の講師としてスタートすることになりました。

3. 現代文講師としての飛躍

数年間古文を教えた後、ついに現代文の講師としての機会が訪れました。現代文は得意科目であり、予習の時間も少なくて済むため、柳生先生にとっては理想的な仕事でした。彼は、予備校講師としてキャリアを積み上げ、次第にその実力を認められるようになりました。

4. スタディサプリとの出会い

30歳を迎えた柳生先生は、ミュージシャンとして成功していなかったため、予備校講師として日本一になることを目指しました。31歳で東進ハイスクールのオーディションに合格し、その後、臨海セミナー時代の同期である肘井先生から映像授業の話を持ちかけられました。

当時はまだスタディサプリという名前もなく、リクルートがやるということも知らされていなかったため、柳生先生は東進講師になる道を選びます。しかし、東進では飛躍することが難しいと判断し、関先生や肘井先生にお願いして、スタディサプリの現代文講師として活動を始めました。これが彼のキャリアの大きな転機となりました。

5. 映像授業の可能性とスタディサプリでの成功

スタディサプリに参加した柳生先生は、関正生先生を中心としたチームと共に、画期的な映像授業を提供するプラットフォームを作り上げました。授業がいつでもどこでも受けられるというスタディサプリの利便性と、優れた講師陣の授業が受験生に大きな支持を受けました。

6. 『現代文ポラリス』と『ゼロから覚醒』の成功

スタディサプリ講師としての肩書きを得た柳生先生は、出版オファーを受け、関先生が作った大人気シリーズ『ポラリス』の現代文を担当することになりました。さらに、2020年のコロナ禍で学校に行けない受験生のために出版された『ゼロから覚醒』は大ヒットし、柳生先生の名前を広く知られることとなりました。

7. 現論会の設立と広がり

講師として活動する傍ら、柳生先生は現論会を立ち上げ、教育や社会問題についての議論を広める活動も行っています。この取り組みは、スタディサプリの活動と共に、多くの受験生や教育関係者に影響を与えています。

まとめ

柳生好之先生の半生は、音楽から教育へとキャリアを転換し、予備校講師として成功を収めた軌跡を描いています。彼の努力と逆境に立ち向かう姿勢は、多くの受験生にとって大きな励みとなっています。これからも、彼の活動がさらに多くの人々に影響を与え続けることでしょう。